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K.M 様 2005年5月 コルサコフ(旧 大泊)
サハリンへ・・・故郷への旅

  私は昭和19年9月、樺太の大泊町(現在のコルサコフ)で生まれました。昭和20年8月16日、終戦で引揚げ命令が出され1歳になる少し前に3人の姉と一緒に母に背負われて、北海道の旭川市へ引揚げてきました。祖父母は大正の終わり頃に樺太に渡り、両親と一緒に大泊町旭町2条2丁目で青果業(当時の写真)を営んでいました。内地の問屋さんから野菜、果物などをとり寄せて樺太の各地に発送、かなり盛んに商いを行っていたようですが、樺太で20年間に積み上げたものを終戦で全て失ってしまいました。炭鉱に勤めていて終戦後もしばらく樺太で働いていた叔父や、軍にいて樺太からシベリアへ連行され抑留されてから帰国した叔父も同じように北海道へ引揚げてきました。叔父や叔母は盆や正月などに集まるといつも樺太のときの思い出話に花を咲かせていました。子供の頃から両親や叔父、叔母から樺太の話を聞き当時の写真も良く見ていましたので、いつか自分の生まれ故郷大泊へ行ってみたいという願いを抱いていました。

 現在、私は富士山のふもとの御殿場市に住んでいますが、昨年5月、還暦を迎えた記念に樺太への旅行を思い立ち、5月の連休を利用して函館からユジノサハリンスクへ飛ぶサハリン航空の便で4泊5日の樺太への個人ツアーを行ってきました。5月2日と5日はユジノサハリンスク(豊原)泊、5月3,4日はコルサコフ(大泊)泊の4泊5日の短いツアーでしたが、念願だった大泊の町をゆっくり歩き回ることができて満足しています。

 昔の大泊の地図と新しい地図とを見比べながら大泊の町を歩きまわりました。最初の日は昭和20年に樺太に来てそのまま残ったという現地の韓国系のガイドの方に車で案内してもらい、2日目は自分の足で歩き回りました。亜庭神社の跡地や旧拓殖銀行の建物、昔の家の裏側にあった大泊川のほとりにある旧王子製紙の跡地などのほかにはあまり当時の面影は残っていませんでしたが、自然の地形はそのまま残っていますので、大泊港や大泊駅のほとり、昔の中心街だった本町の跡地にある市庁舎のあたり、その裏手の姉も通った大泊小学校の跡地(現在も小学校になっていました)などを散策しました。坂の多い町と聞いていましたがその通りの町で、まだ寒さの残る5月の風に吹かれて街を歩きながら昔の様子をしのびました。

 町を歩いると天然ガス関係の仕事をしている日本人の方に出会い、旭町のあたりは戦後まもなく火災で焼けてしまったとの話を聞きました。現在はコルサコフの銅像のある公園になっています。また、サハリンへ行く飛行機で、成田にいる日本人と娘が結婚し、遊びに行ってきた帰りだというロシアの年配の女性の方と同席になり、日本語が多少話せるので機中で色々お話をしましたが、偶然、公園を歩いているときに出会い、一緒に写真をとらせてもらいました。また町では日本語を勉強しているという息子づれのお母さんに話かけられ写真をとらせてもらいました。樺太は旧ソ連時代の古い名残が残っていて、観光客が買い物をしたり食事をしたりする場所はまだほとんどないといってよい状態ですが、住んでいる人は皆たくましく明るく生きているという印象をうけました。

 特に子供たちが元気でおはよう、とか、今日は、とか声をかけられ日本人が天然ガスの開発でよく訪ずれるようになっていることを実感しました。ホテルは市庁舎の近くにあるアルファホテルでしたが、まだ新しい気持ちの良いホテルで、日本人が良く利用するためか食事にご飯もでてきて安心できるところでした。5月の連休を利用して行ってきましたが、まだ雪解けのあと間もない頃で、道路にもぬかるみがあり、木々もまだ緑のない雑然とした状態でしたので、今度はロシア語をもっと勉強して緑の豊かな8月頃にもう一度行ってみたいと思っています。


亜庭神社跡

旧拓銀大泊支店
   

旧王子製紙大泊工場

コルサコフ(旧大泊港)
   

旧大泊川

市内公園の親子連れ

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